デジタル遺書

長めの遺書

自分と他人を理解する

例えば、職場の人にいつも素っ気ない態度を取られるとして、どう感じるかは人それぞれある。

 

嫌われてるのかなと思うかもしれない、感じの悪い人だと腹が立つかもしれない、悪気はないのかもと可能性を見出すかもしれない。

 

この1つ目か2つ目で考えると相手を理解するのは難しい。

 

理解しようとするならば3つ目が適切と言える。でもこの考え方はどこかで妥協しないと、都合の悪い事実から(無意識的に)目を背け、解釈を誤り、自分を蔑ろにしてしまうことにもなり得る。

本当は舐められているのに、理解しようと頑張り続けて心が削れる、とか。

 

その妥協点の最適解は「自分と相手を可能な限り大事に出来る範囲」だと思う。

自分も相手も大事にするなんて難しい、と感じたなら、自分とはどういう人間かということをまだ決め切れていない。「自分はこういう人間で、だからこういう人とは無理に関わる必要がない」と言い切れるほどアイデンティティーが確立していない。