デジタル遺書

大丈夫になるように生きてる

ここ1ヶ月で、親友との同居生活が終わって、引越しをして、恋人と別れて、愛猫を実家に預けて、知らない街で突然一人になってしまった。

寂しさより、精神的支柱を失って、自分は大丈夫なんだろうかという不安や虚しさが大きい。

 

去年からメンタルの調子がどんどん崩れだして、仕事に行けないぐらいにまで落ち込んでしまった。でも傷ついた分、沢山の人の優しさがすごく沁みた。普段はそこまで感じ取れなかったと思うから、良い面もあった。

 

元恋人にはかなり心労を掛けたけど、頼ってほしいと最後まで言ってくれた。私は思い遣る余裕がなくて申し訳なかった。恋愛って本当に体力の要ることだな。

 

年末からバタバタが続いて、来週から出張生活が始まる。感傷に浸る暇もないけど、気が紛れて良かったのかもしれない。

 

https://music.youtube.com/watch?v=G4ofx72vCRM&si=tk3-H8qRZJNXqG2F

 昨日はそれなりに楽しかったが、眠れない原因になっている不安の根っこを探ろうとすると突然悲しくなり死にたくなった。1人で部屋にいて不安に向き合うとやはり病みやすい。
 「これは水です。」のスピーチをまとめていたが、現代社会においての本当のリベラルな生き方を語った、非常に本質的かつ美しいスピーチで、この知性がご自身を苦しめてしまった一因かもしれない(自死の数年前に双極性障害と診断されていたそうだ)。自由に生きるというのは難しい。これは水なのだと、どうしても意識できない日もある。本当に大事なことは見えにくいから、多忙な日々の暮らしの中では完全に忘れないことが重要だと思った。
 「突然死にたくなる」現象についてググると、以前にも著書を読んだことがある樺沢紫苑先生の記事に辿り着いた。自殺を考えたことのある人は自分が想像していたより沢山いるらしい。(世の中の変化は急速で不安定だから、人が不安になるのも当然だ)。ストレスフリーを目指すには行動が必要だ、という内容だった。不安の中でただ行動するのは現実逃避な気がして引け目があった(だから不安を分析しようとして病んでしまった)。現実から目を逸らす行為は良くないという観念が自分の中にあった。しかし、どの程度現実を見るのかは自分で選択しなければならない。例えば凄惨な戦争や犯罪を直視する行為は、その道の人でも精神を病むほどダメージが大きい。先のスピーチでも語られていた「考えるべき対象を自分で選択する」自由は自分に向けて使ってもよいのだと思った。自分の性質に合わなかったり、制御不可能な現実については「ここからは考えない」という決断が、生きていくには必要だ。

5月病あるいは生きるのが下手

楽しい予定で始まったGWのはずなのに、何故かイライラしてしまう。誰かに話したいことがあまりない。何かで頭がいっぱいになっていて、楽しむ余裕がない。遊ぶ日のことを考えて憂鬱になる。自分の今後の人生は孤独で空虚なんだろうと想像してしまう。嫌なことをされてもはっきりと言えない。貯金が少ないのに何をするにもお金がかかる。したいことができていないように感じる。そんな自分が気に入らない。自分の欠点が自分の人生の邪魔になっているように思える。たくさん寝てSNSを絶って自分の世界に籠もれば元気になるような気もするが、引きこもっても欠点は直らない。そろそろ真剣に向き合わねば。
 
お風呂に入りたい。できればサウナに行きたい。
 
眠い。

「神は見返りを求める」ネタバレ感想

ネタバレを含む感想です

 

 

 

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気になっていた2023年最初の1本。面白かった。

お人好しのムロツヨシがストーカー化していくスリラー映画かと思っていたが、そんな単純な話ではなかった

「自分の生活を犠牲にしてまで人助けをしてはいけないし、人の負担を想像せずに安易に助けてもらってはいけない」という教訓を主軸にしながら、物語の展開が複雑に変化していく。

 

ゆりちゃんは予告で「恩を仇で返す女」とされているが、序盤のゆりちゃんはちゃんと感謝を伝られる子である(助けてもらうことに少し慣れてはいくが)。

 

叩かれながらも続けてきたYoutubeでどうしても成功したくて、知り合ったYoutuberとのコラボで自分を安売りしてしまうゆりちゃん。

借金の肩代わりと多忙な仕事、さらにはゆりちゃんの変化に追い詰めらる田母神

 

ゆりちゃんからすれば、最初に関係にヒビを入れたのは田母神だ。ボディペイントで視聴者を稼ぐやり方を否定しながらも、仕事が忙しく、ちゃんとゆりちゃんと向き合うことはなかった。

お人好しがすぎるあまり、ゆりちゃんに嫌われるのを恐れてちゃんと話し合わなかったことが2人の関係を歪めてしまった。

ゆりちゃんもゆりちゃんで助けてくれた田母神をあっさり切り捨てる、「恩を仇で返す女」と言われればそこまでなのだが、ゆりちゃんが先に裏切られた気持ちになっていたのだ。

 

登録者数が少ない頃からの被り物(ジェイコブ)をお焚き上げする企画の途中で火を消してしまうシーンが、本来のゆりちゃんの性格を表している。

「通過点」である、売れていない頃の自分と田母神を否定すると、背伸びして売れたお飾りの自分だけが残る。

田母神に作ってもらったパーカーを着て配信するゆりちゃんは、初心に帰ろうとしていた。田母神もまた、初期のゆりちゃんの動画を観て、純粋に応援していた頃の気持ちを思い出した。(そこからのサイン会での「もういいよ」は急で拍子抜けした)

人間誰しも性格に難はある。だが関係崩壊に至らせるのは状況の変化とそれに伴うコミュニケーションエラーなのだ。

 

田母神が病室でゆりちゃんにカメラを向けた理由が釈然としなかった。ゆりちゃんの笑っている顔が撮りたかったのか?? サイン会の日に殴られて流血しながら踊ってる動画を流す時点で結構狂ってたのかな。

 

ラストは2人とも酷い状況になって終わったので、人の心を軽視するなと警告する映画だと感じた。

 

人の嫌な部分の描写がうますぎて観た後どっと疲れた。常に心がざわざわする感じ。

イタい女を演じる岸井ゆきのがめちゃくちゃいい。

ポジティブに諦める

身近な大人たちに言わせれば、昔の私は、口数が少なく、気づけば自分の世界に入っていってしまうような子供だったらしい。

 

最近も、仕事の打ち合わせで追随できない領域の話が始まると、集中が切れて他のことが気になってしまい、悩んでいる。

 

「自分の世界に入ってしまう」で調べると「発達障害」「自閉症」といったワードが散見される。

前職で仕事の出来なさに病んでADHDの検査(問診)を受け、ADHDではないと診断されたので、ただのポンコツということが判明した。

 

ただのポンコツはどうやって生きていけばよいのか。

 

これまで自分はずっと、出来て当たり前とされていることがうまく出来ない劣った存在だから、社会で生きていくには沢山ある苦手なことを克服しなきゃ、と焦りながら生きてきた。

でも頑張ったところで自分の想像する「普通の人」に近づけなかった。

 

どうしてみんな得意なこと・長所がちゃんと自分の中にあって、自分の気持ちや考えを素直に言えて、人と仲良くできて、気まずくない友達がいて、自分の人生を生きていけるのか、まるで理解できない。

これらのことが1つでもできる人が私には別の生き物のように見える。

 

なるべくみんなと仲良くしておいた方がいいのは頭で分かっているが、どうやっていいか分からない、どうしても腰が重い、変な空気になるのが怖い、そもそも大して興味がないので無理し続けることになるのが見えている。

 

薄々気付いていたが、この先「普通の人」を目指して頑張り続けても報われることはない。幼少期からずっと変な人間をやってきたのだ。もう諦めよう。

散々ネガティブなことを書いてきたが、この歳になって、これを認めてポジティブに捉えようと思えるようになった。

 

諦めるといってもあまり興味のない人と会話するのをやめるわけではない。

・どうしても出来ないこと・したくないことは自分の領域外と判断していいことにする。

・別の生き物と比べるのをやめる。今の自分を大事にする。

 

きっとこの先も「もっと色んな人と話したほうがいいよ」等という大変有難いアドバイスをもらうだろう。

その時はネガティブに陥らず、「私にそれを処理できるポテンシャルがあればやっとるわカス」と思いながら「気が向いたらやります」と突っぱねていきたい。

 

自分と同じような悩めるポンコツがいたら友達になれますように。このブログが何かの励みになりますように。

引きこもりの多忙な休日

ほとんど家にいたのに怒涛の土日であった。

 

大小さまざま20個ほどのTodoを捌いた。忙しすぎてまともな昼ごはんを食べていない。疲れた……

 

土日にやることは紙に書いて、終わったら打ち消し線を引くようにしているのだが

さっき打ち消し線だらけのメモ用紙を見て思わず「すごい…」と声が出た。よく頑張った。

 

心残りなのは、やりたかったこと(読書やお絵描き)はほとんどできなかったことと、美味しいものを食べられなかったことだ。

元々土日はやることに追われてやりたいことができないまま終わっていくことが多かったが、自部屋の整理という大きなタスクがほぼ完結したため、これからは少し余裕が出てくると思う。部屋も綺麗になったので、やりたいことに集中できそうだ。

ごはんに関しては、2日とも自炊したのだが、どっちも失敗してしまった。外食はお金かかるし、食材も余ってるし、、と思って我慢したが、1回くらい許してやれば良かったな。

 

さあ明日からまた平日が始まるぞ。休日は競馬があるし、平日は株式市場の動きがあって、どちらも楽しい。今年もあとわずかだけど焦らず目の前のことに向き合っていくぞ〜。

ブログって、ええやん

久々にこのブログを覗いたが、ちょくちょくアクセスがあるらしい。

 

遡って記事を読んでみると、我ながら不器用で陰気だがいじらしい文章じゃないか。今の私も2年前と同じようなことに悩んでいるけど、本当に微妙に、少しずつ前進していると感じられた。

 

最近SNSYoutube等の普及でブログを見る人は減っているのだろうけど、今更ながら、ブログを書くってなかなか良いな、と思えた。沢山の人に見てもらいたいと思って書いていないので、フォロワーがいなくても最早気にならない。コメントなんて滅多に来ないので炎上を怖がることもない。文字ベースだから発信するのに流行りの表現を追随する必要もない。思いついたことを書き溜めて自分なりに整理ができたな、と感じたらnoteとかにコピペして読みやすくできる。もちろん流行りのプラットフォームに発信するネタにしてもいい。

 

ここ1年くらいは内向型の癖が出て、ブログではなくローカルのメモアプリに自分の考えをつらつら吐き出していたが、人に公開しない体で書くと、どうも考えが凝り固まりやすくなる気がする。たまに更新しよっと。

 

ところではてブって普通のいいね機能ないの?