デジタル遺書

長めの遺書

漠然としたもの

好きな俳優さんの訃報が他人事に思えず、複雑な感情を消化できなかったので文章を書くことにしました。

私もいつ死ぬかわからないので

このブログは軽いノリの遺書もどきです

まだ死ぬつもりはありませんが✋

 

自殺のニュースがある度「誰かに相談していれば」とか「逃げてもいい」というコメントがつくことに違和感があったんですが、多分、希死念慮の概念を知らない人が一定数いるんですね

希死念慮ってこれといった理由がある訳ではないんですよ、幸せを感じて過ごしていてもぼんやりと「死にたいな」って思ってる、だから相談のしようがない

 

きっと生活の中で漠然とした不安・薄らとした絶望を感じたことのある人は、自殺した人に共感できるんですが、そういった感情を意識したことがない人からすれば、自殺にははっきりとした原因があるはずだと自然に解釈するんでしょう

 

そこら辺共感できる人/できない人の違いは多分リビドーとデストルドーどちらが優位かによって決まると思うのですが哲学難しい私わからないヨ

 

 

今回の引き金となったのが自殺願望なのか希死念慮なのか(コトバンクによるとこの2つは違うらしい)、判断しようがないので勝手な解釈は避けますが

多くの人に愛されて幸せそうであっても見えないところで苦悩を抱えている人がいる、ということは知られてほしいなと

希死念慮に対する理解や不安対処の研究が進めば哀しい出来事も減るんじゃないかな

 

 

三浦春馬さん

ご冥福をお祈り申し上げます。どうか安らかに。