デジタル遺書

長めの遺書

他人は変えられない

「インターホンに出て」とか、「郵便物開けて」だとか、直接言わずに私にやらせようとする態度に腹が立つ。察してちゃんは本当にコミュニケーションが取りにくい。てかやれよ。

 

私も私で、相手を理解できないと感じると黙るから良くない。不機嫌ハラスメント、フキハラと言うらしい

 

それと食事中もソシャゲやるようになってから会話がほぼ無くなった。話しかけてもスマホ見ながら生返事で会話が終わるから話しかける気も失せる。

 

相手には相手なりの事情があるんだろう。でも、そこまで介入したくない。私の人生で精一杯なのに、自分で何とかしたいと思ってなさそうな人間の生き方に干渉する余裕はない。

こういう愛情の欠落が1番の問題な気がする。

 

お互い素直に意見を言うべきだ。でもその前に相手を思いやる気持ちがなければいけない。私たちはそこでストップしている。

入社して1週間

入社して1週間が経った

仕事はテストだけど楽しい、デバッグモードでコード読んでる もっとシステムの仕組みを理解したいのでJavaScript勉強したい

納期的に厳しいんだろうけどやっぱデザインが気になってしまう デザイン性皆無だと使う側もやる気失せるみたいなとこあるよね

みんないい人そうだけど、忙しそうでなかなか声が掛けづらい それでも「言いたいことは全部言う」は守っていきたい

自分に何ができるか

訓練校やIT業界についての記事は一定のニーズがある

今のところそこまでやろうという気にならない

 

原因は、どんな相手にどんな価値を与えられる記事を書くのかを明確にしていないから

つまりそこまで真剣に考えようとしてない それによって得られる自分のメリットって何?ってとこで止まっているので

何でもやる前から利害をはっきりさせたい良くない癖が出てる 自分のことしか考えねえ

 

実際に働いてみないと分からないことも多いしまだ今はいいか、という気持ち

気が向いたら書きます

心の余裕欲しい

チェンソーマン』で、マキマさんの「昨日のお酒おいしかった」ってセリフで個人的に思った話(考察とかじゃないただの自分語り)

 

まず、記憶の良い部分を抽出できる点

私は「昨日の飲み会」のことを思い出すと反省点ばっかり先に出てくる(旅行とかはそんなことない)から純粋に羨ましいっていう気持ち

 

それと、「楽しかった」ではなく「お酒がおいしかった」と言っている点

もちろん、マキマは普通の人じゃないっていう表現でもあると思うんだけど

自分はコミュニケーションを取ることで頭がいっぱいになって、飲食を楽しむ心の余裕があんまりないのでそこも良いなぁという気持ち

 

純粋にお酒がおいしかったんだとしても、楽しかった気持ちがお酒のおいしさに繋がったと解釈できるいいセリフだなー

入社前ワイ、何もやる気がしない

もうこんな時間かよ寝てしかねえ〜〜〜

 

無職最後の1週間を無駄にしてしまっているようで悲しい

自分の部屋でぢっとしているばかりで何もやる気が起きないのである

入社前ブルーもあるのかもしれないがこれはいけない やる気になるのを待つのではなく何か行動を起こさねば

 

今日は寝たりもしたけど口座を開設し日経新聞を読み(解約しそびれた1ヶ月分の元を取るため)絵を描き1ヶ月ほどサボっていたスクワットをした

 

行動すればするほど元気が出るのだ とりあえず手足を動かして人間らしい生活をしよう

歓迎会というイベント

入社して歓迎会とかあるのかなとふと気づく

自分みたいな奴のためだけに人間を集めて歓迎会やるの? 正気?

 

これまでの歓迎会って基本同期がいたから、主役が自分だけってことがなかった

コロナあるしやらない可能性も大いにあるけど

 

そんで辞める人が多い会社なら尚更そこまで気にされないだろうけど

あーやっぱ自意識過剰だなあ私は

生きるための考え方

『起こることは全て必然』みたいな考え方は、現実を都合よく解釈するようで好ましくないと最近まで思っていた

 

現実を受け入れることで成長していける

でも幸せは現実の状況ではなく解釈次第なのだ

 

私みたいなネガティブな人は、問題解決やリスク回避のための考え方をしがちではないか

不幸な解釈こそ現実であると捉え、クソ真面目にその不幸な状況を乗り越えなければならないという考え方がネガティブの元凶ではないだろうか

 

 

それを解決する手段の一つに宗教がある

多くの日本人が持つ宗教のイメージは主に「非現実的な対象への信仰」「クソ高え壺」「謎に厳しい教え」「おばさんのしつこい勧誘」などマイナスなものが多い

地下鉄サリン事件の影響もありそう その時赤ちゃんだったから分からねえ)

でもこの記事を書きながら、宗教の本質は救いであり、この世界を生きるための解釈であるんかなと

 

大学時代から気になっている仏教のメンタリティが徐々に流行りつつあるので、何冊か本読んでみようかな